安全と安心

安全と安心については、以前にリスクコミュニケーションに関連して書いたことがあります。
『科学的にあらわされるのは「安全」であり、「安心」は気持ちの問題です。
「安全」は固定されているのですが、「安心」は人それぞれであるのです。』

まさに、今、安全と安心が注目されています。
それは、放射能汚染の問題です。

検査の結果、基準値以内で問題がないと安全性が証明されたものの、「安心できない」ことから、避けてしまい、それが風評被害につながったりします。

自分自身が食べるか食べないかという「個人レベル」であれば、個人の価値観で判断すればいいと思います。
当然、個人の安心への価値観は人それぞれ異なります。

しかし、「個人レベル」ではないイベントの場合、例えば、今回問題になった「京都の大文字の送り火の松」の場合はどうなるのでしょうか。
「不安」という要素が当然出てきます。「賛否両論」というレベルではなく、100%近いの賛成がなければ、後々問題が出てくるのではないかと思います。
安全とは違うレベルの議論が必要になります。

この「不安」を解消するための手法がリスクコミュニケーションです。
この問題に放射能のリスクがあるかどうかというのも疑問ですが。
安全ではあるが、単に放射能汚染された地域のものという不安による風評被害と考えたほうが正しいでしょう。
リスクがなければ単なるコミュニケーションとなりますよね。

すなわち、主催者、行政、市民、生産者というステークホルダー(利害関係者)が十分な議論をして、決めることです。
今回の件は、おそらく、十分な議論がされずに、決定してしまったことに問題があったのではと思います。
予定とは違う主催者の決定は市に大きな影響を与えるはずなので、公表する前に、事前に市と相談する。
市も決定権がないとはいっても、大きな反響が考えられるので、一方的に疑問を出すのではなく、何かあれば話し合える土壌を作っておく。
当然、市民にも参加してもらい、是非を問う。
そして、結論を導き出す。

まさに、コミュニケーションが不足しているという今の日本をあらわしているようですね。
このような、コミュニケーション不足では、受け入れるという決定を下すのは、リスクが大きいです。
事前の調整ができなかったという観点で見れば、中止したことは妥当な判断かもしれません。

実は、報道があるまで、このようなイベントが準備されているとは知りませんでした。
普通に考えると、批判する意見が多数を占めると思いますが、論点はそうではなく、事前のコミュニケーション不足が混乱を招いたということを考えるべきだと思います。今回の件を反面教師として、安易に結論を出すのではなく、しっかりコミュニケーションをして、総意に基づく結論を出してほしいと思います。

ここから本題です。
相談現場でも同じことが言えます。
基準以内ですので安全です。問題ありません。
基準を超えていますが、一度超えたぐらいでは直ちに健康に害があるとは言えません。
と言われても、それがイコール安心とはならないのです。
相談者は相談員の安全であるという説明に納得できないのではなく、それが安心につながっていないから納得しないのです。
しかし、相談員は安全であることを説明したのに、相談者は理解してくれない、相談者のほうに問題がある、となるのです。
そうではないのです。
相談員は、安全の情報を提供するのはもちろんのことですが、いかに安心してもらうのかを伝えることが重要であり、そのコミュニケーション能力が試されるのです。
このような事例にあたったときには、何が問題なのかをじっくり考えてみてください。